女性病理医としての20年間東北大学病院 病理部 副部長 / 准教授 渡辺 みか

病理医になったきっかけ

 私が病理に興味を抱いたのは、医学部4年生の時でした。初めて病理の講義を聴いたとき、当時のカリキュラムでは初めて"病気"というものに接したのが病理であったこと、講義の時に映された病理のHE標本やその他の特殊染色の写真がすごく美しくて、顕微鏡をみて病気を診断する、という病理の仕事にとても魅力を感じました。4年生、5年生の時は病理学教室にしょっちゅう遊びに行ったり入り浸ったりしていました。
 私の病理好きは同級生の間でも知られていたので、同級生も病理の先生方も皆、私は病理に進むであろうと思っていたのですが、臨床実習が始まると臨床医として働いてみたくなり、卒業後は脳外科に入局しました(当時は初期研修医制度はありません)。でも脳腫瘍の手術などに入っているとき、手術の手技よりその組織が何なのか、という興味ばかりわいてしまい、結局自分はやっぱり病理が好きなんだ、と自覚して、卒後3年目に病理に進むことに決めました。
 当時は初期研修医制度はありませんので、卒後直接病理や最初から基礎系に進む人もいました。私にとって脳外科での2年間は非常に貴重な経験であったと思います。臨床的なことを学ぶ機会に恵まれましたし、患者さんが治っていく喜び、亡くなってしまった時の無力さや悲しみも経験しました。臨床医が如何に患者さんの治療に懸命になのかも身をもって体験することができました。私の病理医人生を形作る上で、必要な2年間であったと感じています。

たくさんの人との出会い

 病理として最初の2年間は東京の関東逓信病院(現在はNTT関東病院)で研修をしました。ここでは当時の病理部長である山口和克先生に、病理の知識や病理医としての症例への向き合い方など、病理医としての基本をたたき込まれ、私の病理人生の基礎を築いていただきました。今でも山口先生、奥様とは親しくお付き合いさせていただいています。東北大に戻り、当時の病理部副部長である澤井高志先生に出会いました。私が現在病理医として続けているのは澤井先生のおかげであり、公私ともにいろいろと助けていただきました。また一度国立がんセンターに出たことがありますが、ここで島村香也子先生に細胞診の基礎を徹底的に指導していだきました。がんセンター時代にお知り合いになれた先生方もたくさんいます。澤井先生が岩手医大に教授でご栄転され、その後に病理部副部長となったのが森谷卓也先生でした。森谷先生は診断病理に非常に長けた方で、たくさんの知識を教えていただいただけでなく、病理診断に対する姿勢も教えていただきました。森谷先生が母校の川崎医大に教授でご栄転されたあと、現病理部長である笹野公伸先生のご尽力で、後任として病理部副部長 / 准教授に拝命していただきました。
 こうして振り返ってみても、自分の病理人生はたくさんの方との出会いがあり、いろいろな方に支えられてきたと感じます。もちろん全てが順風満帆な訳ではなく、人間関係に悩み苦しんだ時期もありました。それでも振り返るとその一つ一つの経験が非常に貴重であり、そういったことの上に今の私があるのだと感じています。これからも人との出会いは大切にしていきたいと思っています。

結婚と出産、5人の子供をもって仕事を続けて

 澤井高志先生の元で仕事をしているとき、今の主人と出会い結婚し子供ができました。長女を出産し産休に入りましたが、その時私は仕事を辞めて家庭に入ろうと思っていました。その時、仕事を続けなさい、と言ってくれたのが澤井先生であり、澤井先生がいなかったら、今の私はないといっても過言ではありません。2人目以降は森谷卓也先生の元で働いている時出産しましたが、子供がいても仕事を続けてこられたのは、上司である森谷先生の理解があったからに他なりません。今は一番上の中学生から一番下の幼稚園まで、5人の子供に恵まれました。
 子供がいながら仕事を続けるというのは決して楽なことではありません。職場では医師として働かねばなりませんし、家に行けば主婦として母親としての仕事もあります。保育園や学童保育のお迎えがあるので、遅くまで残ることはできませんし、時間内に仕事を終えられる量ではないので、子供が寝てから残った仕事をするという毎日です。それでも、子供をもって仕事を続けていて、充実した毎日を送れていると思います。
 子供がいながら仕事を続けることは、決して自分一人の力ではできません。周りの人の協力があってこそできるものです。時間外の仕事に制限があれば、その分誰かが自分の仕事を代わりにやらなくてはいけませんし、逆に仕事で家庭のことが十分にできなければ、夫や家族の協力がなければできません。私は常に、自分を支えてくれている周りの人たちに感謝の念を忘れないように心がけるようにしようと思っています。そして、自分ができることは全力で努力していくということが大切だと思いますし、そういう姿勢は必ず周りも見ていて、わかってくれていると感じています。

最後に −若い人たちへのメッセージ−

 子供を持つ持たないに限ったことではありませんが、やっぱり何事も"頑張る"ことが大切だと思います。私は自分の子供達は全員、完全母乳で育てました。産休で仕事復帰していますので、働きながら保育園に毎日通って母乳をやり、また戻っての日々を続けました。雨の日も雪の日も嵐の日もです。とても大変でした。さすがに5人目の時は、もう年齢も高かったし、母乳を諦めようとも思いましたが、自分を待っている子供の姿を見ると、諦められませんでした。そしてこのことが、仕事をして常に一緒にいてあげられない自分が、子供に対して母親としてやってあげられるせめてものこと、の信念を持って頑張りました。本当に些細なことかもしれませんが、諦めない、そして努力すればできるんだ、という気持ちをもつきっかけの一つになったと思います。無理しろ、という意味ではなく、若い人たちには何事に対しても、諦めずに前向きに積極的に立ち向かう気持ちをもって欲しいと思っています。