教室の沿革

 当教室は、1965年(昭和40年)に弘前大学医学部に脳卒中研究施設が新設された際、最初に設置された「成因部門」に端を発する。当時、医学部では多数の講座間で脳卒中に関する共同研究が進められており、その成果が認められ脳卒中多発地帯であった青森県に同研究施設が誕生したのである。成因部門の初代教授には青森県立中央病院臨床検査部長の梅原裕が迎えられた。梅原教授は1967年に増設された病態生理部門(現:脳血管病態部門)の水野成徳教授らとともに脳卒中研究の発展に尽くし、1973年には第一回日本脳卒中研究会が青森市で開催された。そして、1975年には遂に日本脳卒中学会が発足することになった。このように日本脳卒中学会の結成、発足には本学関係者の並々ならぬ努力があったことを忘れてはならない。
 1975年に梅原教授が退官し、高屋豪瑩が第二代教授に就任した。その後、1978年にリハビリテーション部門、1983年に神経内科部門が増設され現在の脳研の体制が整うことになる。1989年には脳神経疾患研究施設と改組され、成因部門から「神経病理部門」へと改称した。
 1999年に現在の脳神経血管病態研究施設となり、神経病理部門は「分子病態部門」となった。2000年2月には若林孝一が新潟大学脳研究所から赴任し、第三代教授に就任した。設立当初の課題であった脳血管障害の克服に加え、時代と社会の要請を受け神経変性疾患や痴呆をも対象とし研究を進めている。
 脳研の設立当時から、研究の場でもレクリエーションの場でも、部門の枠を越え和気あいあいとやっていたと聞く。その伝統は今も受け継がれ、現在は春の観桜会と暮の忘年会に加え、年に数回の研究セミナーを脳研の各部門が合同で行っている。
 

脳研のメンバーそろって花見の会
(2001年4月25日、弘前公園にて)