魅力ある病理生命科学を目指して

弘前大学大学院医学研究科 病理生命科学講座 教授  鬼島 宏

1950年(昭和25年)に開講されました病理学第二講座は、これまでに臼渕勇初代教授、工藤一第2代教授が主宰され、癌(がん)の基礎的研究を主幹とする講座として教育・研究・病理診断に携わってきており、国立大学の法人化が行われた2004年(平成16年)の8月に、私が東海大学より着任するに至っています。現在、がん診療において病理検査は最も重要な確定診断法となっていますし、生命科学の立場から癌(がん)を理解することが癌の病態(メカニズム)解明に大切であると考えられます。そこで当講座では、癌の基礎的研究(腫瘍病理学)に加えて、病理診断学と生体情報学を3つの大きなテーマとして、取り組む方針としました。2007年(平成19年)4月より弘前大学大学院部局化・重点化に伴い、57年間の伝統を有する当講座は、病理生命科学講座となりました。当講座は、弘前大学医学部の理念の基づき、医師・医学研究者を養成し、病理診断により医療に寄与するのみならず、大学院講座として国際水準の教育・研究をより一層充実させることを目指して、若い医師・医学研究者が活躍できる場を提供することを目標としています。


ここで、私のプロフィールを紹介させていただきます。1958年生まれで1978年に大学に入学するまでは東京で過ごし、新潟大学入学から1988年に大学院を修了するまでの10年間は新潟を十分に堪能しました。新潟では、米と魚介類を中心とした美味しい料理の虜となり、スキーや登山を通して自然を触れるなど、「新潟人以上に新潟を楽しんでいるよ」と、よく友人より言われました。また、クラブ活動では医学部バドミントン部に所属し、練習に熱中し、6年生の時に東医体男子団体で準優勝を手にしました。バドミントンへの情熱は冷えることなく、現在に至っても時間がある時には、体育館に足を運び、大学生部活動や社会人クラブの練習に参加させてもらっています。

新潟大学大学院(病理学第一専攻)の4年間は、消化器癌の発生や進展の病理形態学的解析を行い、学位論文はヒト胆嚢癌の発生・発育を解析した内容です。大学院修了後の1988年7月からは、諸先生方の厚意により東海大学医学部病理学(現、病理診断学)へ移りましたの。ヒト腫瘍の進展と癌遺伝子変化との関連の研究を始め、多くのヒト腫瘍マウス移植株を用いてK-ras癌遺伝子の突然変異型等を解析しました。東海大学には、2004年7月までの16年間在籍しました。この間、1993年6月から1995年12月までの2年半の間、米国カリフォルニア州、シティ・オブ・ホープ国立研究所のDr. Kevin J. Scanlonの下に客員研究員として留学しました。機能性核酸(リボザイム、RNA酵素)を用いた遺伝子発現制御法の研究を行い、RNA酵素により、癌細胞の癌遺伝子発現を特異的に抑制すると、癌細胞増殖が著明に抑制されることを解明いたしました。また、1996年4月からの1年間は、神奈川県内の大和市立病院に出向し、臨床検査科における病理部門の立ち上げ等を含めて、第一線の病院で病理診断を行いました。

このような略歴の中で、米国留学は私の人生にとって大きな意義となっています。多くの先生方は留学で立派な業績をあげられますが、私の場合は、留学中には特筆すべき業績を残せませんでした。かなり頑張ったが残せなかったということをDr. Scanlonが評価してくれ、その後の二人の信頼関係が出来上がった気がします。データの関係で原著論文が滞る私に、総説を書くチャンスを与えてくれ、これが帰国後の論文作成のスキルアップにつながったと信じています。また、現在も学会等でDr. Scanlonに会うと熱烈歓迎をしてくれます。一方、生活面は120%の充実度でした。好天のロサンゼルス近郊に住み、週末はカリフォルニアに加え、アリゾナ、ネバダ、ユタなど近隣州に点在する国立公園や州立公園などを頻繁に訪れました。在米2年目にはテントを購入して、公園内のキャンプ場に格安で滞在し、ビール片手にバーベキューを楽しめるまでに成長しました。おかげで、地黒の肌が一層日焼けして、地元のメキシコ系の人からスペイン語で話しかけられるほどでした。今もって、当時の在米生活が楽しかったと家族で話題にしています。

前任の東海大学病理診断学での病理診断業務としては、関連病院からの依頼分を含めて、組織診・細胞診が各々年間4000程度、術中迅速診断が年間80件程度、病理解剖が年間15件程度を、自らが行いました。質が高く、滞ることの無い診断で上記のような量を行うにはそれなりのエネルギーが必要ですが、この病理診断こそが、病理学に与えられた無二の業務と考えて頑張ってきました。このために、臨床医との情報交換も積極的に行い、診断向上を努めました。また、研究面での新しいあり方として、産学官連携を試みてきており、1997年12月からは、通商産業省工業技術院、生命工学工業技術研究所の客員研究員(つくば市、現、独立行政法人 産業技術総合研究所、共同研究員)を併任しました。中央省庁行政改革により通商産業省は経済産業省となりましたが、地域活性化のために産学官連携を推進という方針は変わりないようですので、これに対して大学側も積極的にアプローチしてゆくことも、今後の研究を発展させるひとつの方策と考えます。

弘前大学では国立大学法人化および大学院部局化が相次いでなされ、その真の実力を示す時期が到来しました。常に大学の理念を念頭におきながらも、夢を持って前進することが大切だと思います。後進を育成する「教育」、現時点で医療に貢献する「診療(病理診断)」、将来の応用を目指す「研究」は、大学では三位一体であることは言うまでもありませんが、特に大学の主役である学生に対してしっかりとした教育を行うことは、大学・社会の大きな推進力のポテンシャルを生み出すことになると思います。多くの方々と協力し合いながら、魅力ある、より良き大学作りに携わる決意ですので、どうぞよろしくお願いいたします。