弘前大学医学部ウォーカー第11号(1999.12.22発行)に掲載
(基礎薬理学)
薬が最終的には治療のためにあるのはもちろんです。そして臨床においては、有効性と安全性の面からいかにして個々の患者の個性にあった最適な薬物療法を行うかが重要な問題となります。そこには血中濃度をもっとも重要なパラメータとして捉えた薬理学の主要な研究分野である薬物動態学(Pharmacokinetics)が関与してきます。これに関しては、新たに弘前大学医学部に設置されることが決まっている、臨床薬理学講座が主として担当することになるでしょう。しかし、基礎薬理学研究ではそれと共に、薬はどのようにして作用するのか、作用点はどこかといったことに焦点を置いた、いわゆる薬力学(Pharmacodynamics) がもうひとつの主要な研究分野となっています。そして当薬理学講座では、様々な薬の作用メカニズムを明らかにすることを研究の中心に据えているわけです。
薬理学の研究の目的がこのように明確であるのに対して、従来薬理学独自の研究手段(実験技術)はないといわれてきました。例えば、心臓や血管の薬物に対する収縮反応を見る手法は薬理学オリジナルではなく、もともと生理学などにおいて開発されたものですし、受容体は薬理学の中心概念の一つですが、それへのリガンド結合に始まる一連の細胞内情報伝達機構を解析する手法は生化学の分野で発展してきたものです。しかしその一方で、複雑に絡み合った生理現象においてある生体機能分子が関与することが明らかにされてきたのは、イオンチャネルやGTP結合蛋白質の発見の例に明らかなように、作用する対象が非常に特異的(多くの場合、唯一種の機能分子)であるような薬物の発見に負っています。従って、薬理学者は1つには新しい薬物の発見とその薬物受容体(広い意味での受容体)の機能解析を通して、生体機能の解明に貢献してきたともいえるでしょう。これまでに知られていない作用機構を持つと思われる新しい薬物の発見が、未知の生体機能の機構解明につながり、更にはそれを出発物質とした新しい治療薬の開発に貢献することは十分期待できます。薬理学に携わる者として、このような創薬に貢献できることは大いなる喜びでもあります。このようなことを前口上として、当薬理学講座が現在行っている教育と研究の一端を紹介したいと思います。
(基礎薬理学の教育)
まず教育の面ですが、3年次の後期から4年次の前期にわたって、「治療の薬理学的基礎」の名称で薬理学の講義とそれに関連した実習を担当しています。講義では薬物と生体との間に起こる相互作用を、1)薬物受容体を切り口とした薬物動力学と、2) 血中濃度の把握なくしては正しい投薬法は決定できないとの考えに基づき、薬物の吸収、分布、代謝、排泄という薬の体内動態を追いかける薬物動態学のふたつの面から解説します。前者では生体制御機構での生理活性物質や薬物の作用ならびに病態における薬物治療の理論的な根拠を理解させ、一方、後者では個々の患者への薬物の適応について理解させることを目的としています。理論的に正しい知識に基づいた科学的治療が出来る医師を育成するためのいわば知的基礎体力づくりといえるかと思います。また、実習では4年次において各種臓器に対する薬理作用等を実際に体験させ、単なる知識だけではなく、実験事実に基づく薬物作用の理解を目指しています。更に今年度から2年次の基礎科学実験(生物)も一部担当しており、そこにおいて薬物作用の理解を早期から習得させる事にしています。
(薬理学的研究)
薬理学が対象とする薬物は中枢に作用するものから末梢に作用するものに至るまで、非常に数多くまた実に多彩です。講義ではそれらについて当研究室のスタッフと薬剤部の協力のみならず、各分野で活躍中の研究者の方を招いて解説しています。しかし、研究となると一つの講座で実際に対象と出来るものはある程度限られてきます。そこで、我々は主として循環器作用薬を中心に研究を展開しています。
研究テーマとしては、まず心臓の刺激伝導系のひとつである房室結節の薬理があります。4室ある血液ポンプともいうべき心臓が正しい律動を保って血液を駆出するには、刺激伝導系が正しく興奮を心臓全体に伝導する必要があります。現在、イヌ摘出血液灌流房室結節標本を用いた刺激伝導路の生理とCa拮抗薬をはじめとした薬物に対する反応の解析を行っています。この血液灌流標本の系は、摘出心筋組織を極めて生体位に近い状態に保つことが可能となり、より生理的な条件下で心筋組織の生理機能、薬理反応を解析することが出来ます。この系を駆使し、なおかつ従来の薬理学的研究手法に捕らわれることなく、房室結節の薬理を生化学、電気生理学並びに分子生物学的手法を積極的に取り入れて進めたいと考えています。
次に同じく心臓刺激伝導系に関するものとして、加齢の影響を解析しています。他の先進国をはるかに上回るスピードで老齢化が進む日本において、心臓機能への加齢の影響は避けられない問題といえます。特に刺激伝導系機能が加齢によって低下することで心臓疾患が発症あるいは進行することを避ける手立てを、薬理学の立場から探りたいと考えています。この研究では細胞内情報伝達物質である環状ヌクレオチドの超高感度測定法を開発し、この物質の代謝の面から研究を進めています。
血管平滑筋の薬理についても研究していますが、現在は特に病態におけるカルシウムシグナリングに焦点を置いています。血管平滑筋でも、骨格筋や心筋と同様に、その収縮弛緩は基本的には細胞内のカルシウムイオン濃度が調節しています。しかし、他二者と比べて、その調節系はより複雑です。特に我々は細胞外にカルシウムイオンを排出して細胞内濃度調節に寄与している、細胞膜カルシウムポンプとNa/Ca交換機構に焦点を当てて、研究しています。高血圧おける細胞内カルシウム代謝亢進を反映して、これらの機構に正常とは明らかな差異が見られます。その活性調節機構の変異について、分子生物学的手法を中心にして解析を進めているところです。
はじめに述べたように新しい作用機構を有する薬物は未知の生理機能あるいは生体機構の発見につながる事が期待されます。そこで、当研究室では以上の対象の決まった研究とは別に新しい薬物のスクリーニングも行っています。そのソースとしては植物生薬、微生物をその対象としています。このタイプの研究はどのようなアッセイ系でスクリーニングを行うかで成否が決定するといってもよく、その意味から新しいアッセイ系を積極的に取り入れる必要があります。現在は心臓、血管、腸管の各組織レベルのアッセイ系と血管平滑筋や内皮の培養細胞系を使って、さまざまな情報伝達系への影響を見るという形でスクリーニングしています。最近の成果の例を挙げれば、ぶどう科の植物の成分が内皮依存性の血管弛緩作用を有し、NOS(一酸化窒素合成酵素)を活性化することがわかってきました。新しいタイプの血管弛緩薬へと発展することが期待されます。
(共同研究の重要性)
その進度を高めつつある医学研究を推進するには、一つの講座単位での研究では限界があると思います。また最終的には臨床につながる基礎研究を進めるためにも、基礎講座と臨床講座の研究協力が不可欠です。当薬理学講座でもそのような観点から他講座、他大学との共同研究を進めています。医学部内の共同研究についてみてみると、心臓の研究では第二内科とは血液灌流房室標本を用いて、心房粗動アブレーション時の房室結合部調律発生機序の解明、同様にアブレーション後の心房粗動再発部位同定の基礎的検討や、心房細動発生の抑制機序の解明を行っています。更に第一外科とは、血液灌流乳頭筋標本にマイクロダイアリシス法を併用した心筋間質内カテコールアミン動態の解析で成果をあげています。また、昨年からは整形外科と協力して、難治疾患の後縦靭帯骨化症の発症、進展のメカニズム解析を行っています。成果としては結合組織増殖因子の系がこの疾患で亢進している事を見出しています。さらにこの疾患は多因子疾患であり、発症に様々な環境因子が関与していると考えられます。その中でも重要なもののひとつであるメカニカルストレスがその発症において果たす役割を、靭帯培養細胞にメカニカルストレスを与えた時に発現を変化させる遺伝子を追跡することで、明らかにしようとしています。
臨床における重要な問題を基礎の立場から掘り下げて研究するという姿勢をこれからも続けて、弘前大学の医学研究にいささかでも貢献できることを願っています。
(文責 古川)